【別の領域】「自分」の責任を徹底的に排除すると「自分=世界」を採用できる

1.自分が願望に対して無力であることを知る


あなたは自分が願望を抱いて、自分が叶えていると思っていませんか?
あなたは自分が願望を抱いたように錯覚していますが、願望はあなたとは関係なく勝手に浮かんでくるものです。

その証拠に、あなたは願望が湧き上がってくることを意図的に止めることはできないでしょう。食べ物が胃や腸で消化されていくのを意図的に止められないのと同じで、願望もまた「勝手に起こっていること」です。
あなたは願望を持つことに対して抵抗することができません。

では、勝手に湧き上がってきた願望を叶える力はあなたにあるのでしょうか?
本当にあなたが抱いた願望であれば、実現を妨げるものを排除したりして実現に向かうかもしれません。
けれど、願望は自分の意思とは関係なく勝手に湧いてきたものです。あなたの考えではありません。

あなたは「頑張って」食べ物を消化しているのでしょうか。違いますよね。
あなたが「頑張って消化しよう」と思おうと思うまいと、あなたの身体は勝手に食べ物を消化してくれます。

あなたは何者かが湧き上がらせた願望を必死に叶えようとしていることに気付いていません。
あたかも自分の願望のように錯覚しているので、自分で叶えられる気がしてしまうし、自分が叶えなければならないと思っているのです。

2.「自分を幸せにしてあげたい」と願うもう一人の自分


「幸せになりたい」

誰もが抱く願望ではないでしょうか。
この願望が湧き上がってくるのはなぜでしょう。「自分が今幸せではないと認めているから」というのが願望実現の世界でよくある見解ですが、今回は少し角度を変えて考えてみます。

あなたは「幸せになりたい」と願います。そしてその願いを叶えるために、メソッドをしたり知識を得ようと努力したりします。
あなたは頑張って幸せを手に入れようとします。もがき苦しみ、傷付きながらも諦めずに頑張り続けます。なぜそんなに頑張れるのでしょうか。

あなたは、何としてでも「自分を幸せにしてあげたい」んです。
「自分が幸せになりたい」という願望の背景には、「自分を幸せにしてあげたい」と願うもう一人の自分がいます。
「幸せになりたい」という主観的な視点は普段から感じていることと思いますが、そこには「幸せにしてあげたい」という第三者的に自分を見ている客観的な視点も同時に存在しているのです。

では、主観的な視点を「エゴ」、客観的な視点を「本当の自分」として話を進めていきましょう。
「エゴ」は「自我」「顕在意識」などに置き換えてもいいですし、「本当の自分」は「別の領域」「潜在意識」などに置き換えても構いません。

「幸せになりたい」という願望は自分が持っているとエゴは思っていますが、その源は「この人(エゴ)を幸せにしてあげたい」という本当の自分からの愛情です。
あなたが「幸せになりたい」と願うとき、そこには常に「あなたを幸せにしてあげたい」と願う本当の自分がいます。

願望を浮き上がらせたのも、その願望を叶えるのもエゴの責任ではありません。エゴは自分が願望を持ち、自分が叶えなければならないと思っていますが、どちらも本当の自分がその役割を担っています。

願望を持つのも自動的ならば、叶えるのも自動的です。前章で例えた通り、食べ物を消化することに対して「消化してください」といちいち願う人はいないでしょう。それでも勝手に叶い、実現していることに着目してください。

これは願望と認識していないものは勝手に実現していくということなんです。

このメカニズムの中で、エゴにできることは何もありません。
願望が浮かんでくるのもエゴに責任はないし、その願望を叶えることもエゴの努力とは無関係です。願望実現において「叶えようとしない」「なにもしない」という意味がそこにあります。
これは「叶えようとしない」「何もしない」というよりも、「叶えることはできない」「何もできない」といった方がより正確です。

3.「自分=世界」の方程式


「自分の本当の願いは優しい自分であること。全ての願望がそこに通じている」

こう聞くと、意外な感じがするかもしれません。
これは、復縁を望んで苦しんでいた時期の僕が「自分=他人」について考えを巡らせていたときに湧いてきた気付きです。

当時、復縁を叶えるために毎日グルグルと叶える方法を考え続けていました。
「彼女はどうすれば俺のことをもう一度好きになってくれるんだろう。そもそも俺のどんなところが好きだったんだろう?」
そう考えていたときに、ひとつの記憶が蘇ってきました。彼女はよく僕に対して「優しいね」と言ってくれていたことを思い出しました。

「彼女は俺の優しいところが好きだったんじゃないかな」

あまりにも一般的すぎるその答えに何も収穫を得られそうにないと思いましたが、別れてからも定期的に会う機会のあった彼女に対して「やっぱり優しく接するのがいいよな。一般的に考えても…」と決め、自分が彼女に対して優しくできたときのことを思い出そうとしました。
どういうときに彼女は「優しいね」と言ってくれていたのかと。

そうすると、彼女だけでなく他の人からも「優しいね」の一言をたくさん貰っていたことを思い出しました。
同性異性を問わず、年代を問わず、友人や仕事関係という間柄も問わず、自分でも意外に思うほど多くの人が「優しいね」を言ってくれていて、その一つ一つを今でも鮮明に思い出せる自分に驚きました。

中には何年も会っていないし、その一回きりしか言われていない人もいました。
それにも関わらず「優しいね」と褒められたことは忘れていない。忘れていないどころか、そのときの誇りに似た感情までリアルに思い出せる。
自分にとって「優しいね」というその褒め言葉がとても嬉しいことだったというのは理解できました。

でも、どうして「優しいね」という褒め言葉がそんなに嬉しく感じるんだろうか?
そのとき、ふと「自分=他人」だとしたら、という考えが浮かびました。

「彼女は優しい俺が好き。これを自分=他人として考えたらどうだろう。冷たく聞こえる表現だけど彼女は他人だ。でもその彼女が自分だとしたら、俺は優しい俺が好きってことになるんだろうか…?」

自分が誰かに優しくする、そのためには相手に対する愛情がなければできません。他人に優しくすることは他人を愛すことと同じです。
以前「レスターの物語」で読んだ「人は誰かを愛しているときに幸せを感じる」という真理に通じるものがあるように感じました。

「俺の優しさを求めているのは本当は誰なんだろう?自分=他人だとするなら、本当に俺の優しさを求めているのは彼女ではなくて俺自身なんじゃないのか?」

自分が自分自身の優しさを求めている。一見、意味不明な理論のように思いましたが、この理論を採用すると自分は自分に優しくできていないということになります。
これは願望実現で自愛が推奨されることにぼんやりと繋がっているような気がしました。

「自分の本当の願いは自分自身に優しくされることなのかもしれない」
よくわからない願望のように思えましたが、ここで「自分=世界」を適用すると答えが繋がりました。

「自分の願いは自分に優しくされること」=「自分の願いは世界に優しくされること」

某掲示板に自愛を推奨するisaさんという達人がいらっしゃいました。そのisaさんが残していった言葉の意味がわかった気がしました。

『本当の願望は「自分を今よりも好きでいる事」だろ。』

これもまた「自分=世界」を代入してあげると納得しやすくなります。

『本当の願望は「世界を今よりも好きでいる事」だろ。』

自分が幸せであるためには、自分が生きているこの世界がバラ色の世界であればいい。愛と優しさに満ち溢れた天国のような世界であればいい。
そう感じるためには、世界中のあらゆるものの中から自分の好きなものばかりが身近にあるといい。なぜなら好きなものというのは愛情を注げるものということだから。

愛情を注げるものに囲まれれば愛に囲まれているも同じ、そうすれば自分は幸せになれるし自分の世界を好きになれる。それが自分が自分の世界を好きでいるための条件になっていることに気付きました。

じゃあ、その条件を満たせていない今はどうだろう。
あれが足りないこれが足りないと嘆いてばかりいて、もっと好きなもので自分を囲わなければならないと必死になっている状態はちっとも幸せじゃないし、思い通りにならない世界が好きじゃない。

こう考えると願望というのは、自分の周りを好きなものだらけにするために好きなものをコレクションしていくようなものです。キリがないし、いつまでも求め続けなければなりません。

このコレクションの目的が世界を好きになることにあるのなら、「自分=世界」で考えると結局は自分を好きになることと同じです。前述のisaさんがおっしゃった本当の願望は「自分を今よりも好きでいる事」だろ。という言葉が沁みていきます。

「結局はごくシンプルに自分を好きになればいいだけじゃないか。自分が好きということは世界が好きということなんだから。それが幸せってことじゃないか」

この一連の思考で出た答えは、なんとも拍子抜けするほど簡単なものでした。

4.自分の責任から解放される


僕らが「〇〇が欲しい」という願望を持つのは、自分の周りを愛情を注げるもので満たしていくためです。
そして、その目的は世界を好きになるため、それは結局自分を好きになるため。

逆に、好きなもので満たせていない状態では世界を好きになれません。自分=世界ですから、世界を好きになれないことは自分を好きになれないことと同じです。
好きなものや好きな状況を手に入れることができない自分は、魅力がないんじゃないかとか、人気がないんじゃないかとか、能力がないんじゃないかとか、運がないんじゃないかとか、自分を好きになれない余計な理由を考えては現実が動いてくれない悪循環のループに陥ってしまいます。

あなたは叶えたい願望があるときに「どうすれば叶うんだろう?どうすればいいかわからない」と考えてしまうでしょう。
正解です。
なぜなら、叶える方法なんてないし、どうしようもないからです。
あなたの願望は叶わないし、願望に対してあなたができることは何もありません。

でも安心してください。あなただけではありません。誰もが同じです。
あなたの願望が叶わないのは、あなたに魅力がないわけでも、人気がないわけでも、能力がないわけでも、運がないわけでもありません。
あなたは何も悪くないし、何の責任もありません。願望を叶えるのは自分(エゴ)ではないからです。

湧き上がった願望は、願望を湧き上がらせた者が責任を持って叶えるべきです。
あなたの意思とは無関係に湧き上がってきた願望で、あなたが苦しむ必要はありません。
願望を湧き上がらせたのは「本当の自分」なんですから、ここは本当の自分に責任を取ってもらいましょう。

願望実現のプロセスにあなたは参加していないし、介入する余地もありません。全ては本当の自分が勝手に行っていることです。
願望も実現も制御不能であることを認めましょう。自分(エゴ)にはどうすることもできません。

制御不能なものを制御可能と錯覚して、コントロールを試みるから苦しくなるんです。
「やっぱり思い通りにいかない」って。
思い通りにいかないなんて当たり前なんです。最初から制御不能ですから。

ここでいう制御とは「自分が選び、自分が好きになり、自分が手に入れる」ことを指します。
実際には最初の「自分が選び」の段階で既に制御できていません。エゴは「自分が選んだ」と錯覚していますが、選んだのは「本当の自分」です。
エゴも本当の自分も「自分」なんですから、好みが一致するのは当然です。好みが一致しているが故にエゴが「自分が選んだ」ように錯覚してしまうわけです。

「自分が選び、自分が好きになり、自分が手に入れる」ことを諦めるのはエゴにとって死活問題のように感じるでしょう。
「自分では選べない、自分の好きなものではない」ものがやってくるのではないかと思ってしまうからです。そのためエゴは「自分が選ばなければ」気が済まないんです。

でも本当にエゴがコントロールを諦めたら好ましくないことばかりがやってくるのでしょうか?
そんなはずはありません。「本当の自分」は「この人(エゴ)を幸せにしてあげたい」とエゴにとって好ましい現象が現れるように愛情を注いでくれているんですから。

本当の自分を信頼して任せてください。
「任せる。どうにでもしやがれ。自分はそれを体験するだけのアバターだ」ぐらいまでコントロールを手放すと、案外気分も良くなるし、目に映るものが変わっていきますよ。

5.おすすめ図書

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商品の説明
内容紹介

ラマナ・マハルシの教えの最高峰
“TALKS with Sri Ramana Maharshi”(通称、トークスtalksと呼ばれている)の
完訳版! (全3巻)

近代の大覚者ラマナ・マハルシとの対話を集大成したもの。
ラマナ・マハルシ自身、この本に目を通したと言われている。

永遠の聖典とも呼べる書です。

「ただ真我だけが存在する」

シュリー・ラマナ・マハルシの古弟子によって、
1935年から1939年の5年にわたり記録された、アーシュラマムでの日々。
第1巻 1935.1.6~1936.12.31

内容(「BOOK」データベースより)

シュリー・ラマナ・マハルシの古い弟子であるシュリー・ムナガーラ・ヴェンカタラーマイア氏によって1935年から1939年にわたる期間に記録された対話。

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直島 章真(Naoshima Shoma)

不思議で素敵な思考の世界に皆さんをご案内します。 引き寄せで悩んでいる人、心が疲れてしまった人、ちょっと元気をなくした人に響く言葉がきっとあるはず。そう信じて言葉を紡いでいます。