【エゴから離れる】誰でも眠れば”別の領域”にいるんだから、起きてるときもいれるんじゃない?という説

1.苦悩を感じるのは起きている間だけ


眠っている間、僕らには悩みも苦しみもありません。
悪夢によって目が覚めるという経験をした方もいると思いますが、夢を見るのは「レム睡眠・ノンレム睡眠」と区別されるうち、浅い眠りの状態であるレム睡眠時です。

では、ノンレム睡眠と呼ばれる深い眠りにあるときの僕らはどうでしょう。
悩みや苦しみはおろか、自分が自分であることすら認識していないでしょう。

眠っている間は悩みも苦しみもない。
これを「眠っているんだから当たり前」で片付けずに、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。

苦悩は朝の目覚めと共に始まり、夜の眠りと共に消滅します。
眠っている間だけは苦悩を忘れられるともいえますが、裏を返せば苦悩は起きている間だけ発生しているともいえるのです。

起きているときと眠っているときの違いはなにかというと、「自分」という認識を持っているかどうかです。
「自分」という認識、もっといえば「私とはこの身体」という認識は一般的に自我(エゴ)と呼ばれますが、エゴは目覚めと共に発生して、眠りと共に消滅します。

苦悩は自分を「この身体」と認識しているときにだけ発生していますから、自我(エゴ)から離れると苦悩がなくなるという理屈は、納得できないまでも理解できるでしょう。

2.僕らはもう気付いている


苦悩と睡眠が関係していることを僕らは知っています。
例えば、友人から悩みを打ち明けられたときなどにこんな心配をしませんか?
「夜はちゃんと眠れてる?」

「夜も眠れない」と聞かされれば、ストレスや苦悩を抱えていることは容易に想像がつきますし、あなた自身もストレスや悩みごとを抱えて夜も眠れないような経験をしたことがあるでしょう。
僕らは眠ることによって苦悩から解放されることを知っているんです。

けれどそれは「眠っている間は何も考えなくていいから」とか「眠っている間は全てを忘れているから」といった理由ではありません。本当の理由は「眠っている間はエゴから解放されるから」です。

その証拠に眠っている間は何も感じていなかったのに、目覚めと共に昨日の苦悩の続きが再開してしまうでしょう。
これは、目覚めと共に「私」がエゴに捕捉されてしまったからです。

全ての苦悩はエゴに囚われてしまうことから発生します。ならば、苦悩から解放されるためには起きている状態でエゴを眠らせるか、エゴから離れてしまえばいいということになります。

3.深い眠りと別の領域は同じもの


「眠っている間のことをおしえてください」
そう聞かれたら誰もが答えに困ってしまうのではないでしょうか。
「何も覚えていない」「自分ではわからない」「記憶がない」
あなたはそう答えてくれるでしょう。
この答えになっていないような答えは、実は的を射ています。

あなたが眠っている間に起こったことを認識できないのは、あなたのエゴが「私」を捕捉できていないからです。
あなたは眠っている間は何も起きていないと答えますし、実際のところ何も起こっていません。
その一方であなたは、眠っている間は全ての苦悩から解放されていることも知っています。

引き寄せの法則や願望実現に興味のある方にとっては、どこかで聞いたことのある話だと思いませんか?
・エゴにはわからない。
・全ての苦悩から解放されている状態。(幸福に満ちている状態)
この状態は「エゴ以外の領域」だとか「別の領域」と呼ばれるものと同じです。
深い睡眠時と別の領域は同じ性質のものなのです。

エゴに記憶があろうとなかろうと、眠ることによって誰もが毎日「別の領域」を体験しています。
「別の領域」はどこか遠くにあるのではなく、常にエゴの背景となっているものです。眠っている間はエゴも眠っているので、その「背景となっているもの」だけがあります。

目を覚ますと、その背景に登場人物が出現します。
目覚めと共に背景が消えるわけではありません。背景という例えがわかりにくければ、スクリーンをイメージしてください。

眠っている間、スクリーンには何も上映されていませんが、目覚めと共にエゴによって「私の世界」という映像が投影されます。

スクリーンはエゴとは関係なく、常にそこに在り続けています。
そのスクリーンに映像を現わしたり消したりしているのがエゴです。つまり、現実はエゴが投影している映像に過ぎないということです。

4.移ろい、変化し、流れゆくもの


あなたの外側にある現象は、刻々と移ろい、変化し、流れていきます。
現象とは、永遠ではないものが一時的に取っている形のことです。あなたの目に映る全てものは永遠ではありません。いつしか形を変えていき、消えてしまうものです。

そして、それを見ているあなた自身も「この身体」という観点に立つと永遠のものではありません。あなた自身も単なる現象に過ぎないんです。

万華鏡のように刻々と形を変えていく一過性の現象を「今はこのような模様になっている」と判断した結果が現実となります。けれど、その現象を認識しているあなた自身もまた現象です。

どこまで突き詰めていっても「確固とした現実」などというものは存在せず、そこにはただ移ろいゆく一過性の現象が投影されているだけです。

あなたは自分自身と信じている「この身体」や、自分の目に映るものを現実と捉えます。
その一方で自分の頭の中にしかないもの、妄想や空想は実在しない幻想と認識しています。

ところが、その妄想や空想を繰り広げている「自分自身」というもの自体が、毎日現れたり消えたりする一過性の現象であり幻想に過ぎません。

実体があるのなら、なぜ「自分」が夜ごと姿を消してしまうのかという観点に立って考えてみてください。

現実と空想の間には大きな隔たりがあると感じているのはエゴの勝手な理屈です。現実と空想の境目など存在していません。

5.「どうやってエゴから離れればいいんですか?」


俗にいう「別の領域」を認識するには、眠っているときだけでなく、起きているときにもエゴを消滅させればいいということになります。

ところがここに、引き寄せの法則最大の罠が仕掛けられています。
「どうやってエゴから離れればいいんですか?」

この疑問に囚われてしまうと無限ループに陥ります。
なぜなら「エゴから離れる方法」はエゴに考えつくはずがないからです。
エゴから離れる方法をエゴで考えている以上、いつまでも答えには辿り着きません。

エゴとか別の領域という言葉が独り歩きしてしまい、「自分はエゴに支配されているらしい」「別の領域というものがあるらしい」と定義も曖昧なまま答えを探し求めていると遠回りになってしまいます。

ここでエゴと別の領域について、はっきりと定義しておきましょう。
まずエゴとは、思考のことと定義して差し支えありません。思考の傾向が観念であり、観念から生まれる反応が感情となります。
「自分」という認識も一つの固定観念ですから、大元を辿っていくと思考に行きつくことがわかると思います。

思考から派生したものに翻弄されているのが僕ら人間です。少々乱暴な定義ではありますが、物事はシンプルに考えた方が良いのでエゴ=思考と定義しておきましょう。

では別の領域とはなんでしょう?
エゴ=思考ですから、思考から離れた状態が別の領域となります。ここでいう思考を離れるというのは完全に消し去ることではありません。そもそもそんなことは不可能です。

思考から離れるとは、思考を客観的に見るとか、思考の影響を受けずに現象を見ると捉えた方が良いです。
そこで最初の疑問に戻ります。「どうやってエゴ(思考)から離れればいいんですか?」

先ほども言った通り、思考から離れることを「思考を止める」とか「思考を消し去る」と捉えると非常に難しく感じてしまいます。
まず、エゴ(思考)が完全に消え去ることはないし、その必要もないことを知っておきましょう。
エゴから離れることは消去や削除のイメージではなく、上書きや置き換えのイメージです。

「これ以外の答えはない」というほどガチガチに凝り固まってしまった思考を固定観念といいます。僕らが見ている現実は固定観念の塊といってもいいでしょう。
それを解きほぐしてあげて、本来の姿に気付くことが別の領域を感じることです。

6.別の領域へ導くメソッド


エゴから離れるために様々なメソッドを試した方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「どうやってエゴ(思考)から離れればいいんですか?」という疑問に対しては、シンプルに「エゴから離れてください」という答えになってしまいます。
僕自身はメソッドは不要という考え方ですが、メソッドの有効性には個人差がありますから否定はしません。自分に合ったメソッドがあればそれに越したことはありませんからね。

・セドナメソッド
僕の記事の中でも度々紹介していますが、感情にアプローチして手放していくのがセドナメソッドです。
なぜ感情を手放すとエゴから離れることができるのかというと、感情の発生源が固定観念であること、その固定観念の発生源が思考であることからです。
セドナメソッドは感情を手放すことによって、固定観念・思考を解きほぐしていくアプローチとなります。

・自愛
僕がいちばんオススメするのが自愛です。自愛はメソッドというより「当たり前のこと」といった方がいいかもしれません。
エゴが思考・固定観念・感情の塊であるならば、それ以外のものに置き換えてしまえばいいというのが自愛のアプローチとなります。
「愛情」という言葉がありますから、愛も感情の一種なのでは?と思ってしまうかもしれませんが、愛は感情ではありません。
「思考・固定観念・感情」というエゴの属性を「愛」に置き換えていきます。

・「完璧だ」
ザ・チケットの著者108氏のメソッドです。願望とは「何かが不足している」と感じて足りないものを補おうとすることです。
エゴによって付きまとってくる「不完全だ」という固定観念を「不完全なんかじゃない。完璧だ」に置き換えていきます。最初は「どこが完璧なんだよ!」というエゴの反発に遭うと思いますが、その反発が願望実現の妨げとなっていることに気付けると思います。

・「そう決めているのは誰?」
「完璧だ」に対するエゴの反発に対して僕がよく使っていたツッコミです。問いかけたまま放っておきます。
「完璧だ」だけではなく、「不幸だ」とか「悪いことが起こった」と感じたとき、他にも「うまくいかない」「わからない」「こうでなければならない」といったときにも応用できる汎用性を持ったツッコミです。結局全てのことは「自分がそう決めつけているだけ」ということに気付きます。
この気付きが固定観念の解きほぐしとなります。

・瞑想
そのものズバリ「思考を止めること」に直接アプローチするのが瞑想です。
僕はうまくできない、というかすぐに眠ってしまうので効果のほどは説明できません。眠る=エゴから離れるということで言えば成功しているとも言えなくもありませんが…。

皆さんが最初から持っている完璧な幸せを感じることができますようにお祈りします。

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内容紹介

なぜ、やめたくてもやめられないのか? 心や行動の悪癖を断ち切り幸福への一歩を踏み出すには? ブッダの知恵があなたを変える!
内容(「BOOK」データベースより)

あなたを不幸にしている「悪い習慣」は、きっぱり捨てられる!悪い習慣や癖に悩む人間にブッダが説いた“生きる極意”とは?ブッダの教えは脳を育てる。だいじょうぶ、幸福になれます!
著者について

1945年スリランカ生まれ。スリランカ上座仏教長老。13歳で出家得度。1980年に国費留学生として来日。現在は(宗)日本テーラワーダ仏教協会で、初期仏教の伝道と瞑想指導に従事している。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

スマナサーラ,アルボムッレ
1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学などで教鞭をとり、1980年に初来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、日本での仏教活動を始める。現在、日本テーラワーダ仏教協会の長老として、瞑想指導や講演、執筆などを通じ、ブッダの根本の教えを日本人に説き続けている。NHKテレビ『こころの時代』出演のほか、朝日カルチャーセンター(東京)講師としても活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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直島 章真(Naoshima Shoma)

不思議で素敵な思考の世界に皆さんをご案内します。 引き寄せで悩んでいる人、心が疲れてしまった人、ちょっと元気をなくした人に響く言葉がきっとあるはず。そう信じて言葉を紡いでいます。