【神の子】たまにはエゴちゃんが「???」になる話をしよう~現象と背景

1.僕らはどのようにして対象を認識しているか


日本の国旗である日の丸を認識できるのはどうしてでしょうか?

赤い丸があるから。

それも確かに日の丸を認識する材料の一つではありますが、では赤い布に赤い丸があったらどうでしょう?
全てが真っ赤なので日の丸を認識することはできなくなります。

日の丸を認識するには、白い布に赤い丸という二つの認識が必要となります。白い地を背景として赤い丸があるから日の丸と認識できるんです。
僕らが何かを認識するためには、必ず背景が必要です。

例えば、空に雲が浮かんでいる。このとき僕らは雲だけを見ているのではありません。まず空という背景があって、その背景に存在する雲という物体を見ています。

雲の背景は空です。

太陽が沈み夜になりました。星が輝いています。このとき僕らは星だけを見ているのではありません。まず夜空という背景があって、その背景に存在する星の輝きを見ています。

光の背景は闇です。

夜の静寂を切り裂いて大きな音が聞こえました。このとき僕らは音だけを聞いたのではありません。まず静寂という背景があって、その背景に起こった音を聞いています。

音の背景は静寂です。

こんな場面を想像してみましょう。窓もなく、床も壁も天井も全て真っ白な部屋があるとします。その部屋には何も置かれていません。

あなたはその部屋を見て「何もない真っ白な部屋」と言うでしょう。

では、その部屋に椅子を置いてみます。

あなたはその部屋を見て「椅子が置かれている真っ白な部屋」と言うでしょう。このときあなたは椅子だけを見ているのではありません。真っ白な部屋という空間があり、そこに置かれた椅子という物を見ています。

全ての物の背景は空間です。

僕らが認識する対象物には必ず背景があります。
ほとんどの場合、「コップがある」「音が鳴った」「月が輝いている」といった具合に、対象物だけを見て感じ取っているように思っていますが、実際には対象物とその背景を同時に認識することによって初めて「それがある」と認識できます。

普段、あまりに当たり前すぎて見過ごされがちな背景に気付くと、大切なものが見えてきます。

2.対象物と、その背景との違い


雲に対する空。光に対する闇。音に対する静寂。物に対する空間。
僕らが認識する対象物と、その背景には決定的な違いがあります。

雲と空で考えてみましょう。
雲というのは水滴や氷の粒でできている物質です。雲は現れたり消えたり形を変えたりする一過性の現象です。

一方、背景である空はどうでしょうか?
空はどこまでいっても空です。便宜上、大気圏だとか成層圏だとか宇宙空間だとかと勝手に区切りをつけていますが、実際には宇宙の果てまでずっと空です。

雲は「ここからここまで」と区切れるのに対して、空は「ここからここまで」と区切ることができません。
雲が一過性の現象であるのに対して、空は一過性の現象ではありません。

これは音と静寂でも同様で、音には発生した地点と終了した地点があり「ここからここまで」と区切れるのに対して、静寂は「ここからここまで」と区切りことができません。
音が一過性の現象であるのに対して、静寂は一過性の現象ではありません。

僕らが認識する対象物は無常の原則によって常に「一過性の現象」です。現象とは、限りがあり変化するものが現時点で一時的にとっている形のことです。
その背景は延々と空であり、延々と闇であり、延々と静寂であり、延々と空間です。

僕らが五感で物や音や光といった「一過性の現象」を認識する背景には、常に概念化できないものが同時に存在しています。
僕らは、空にある「空ではないもの」を見て、静寂にある「静寂ではないもの」を聞いて、空間にある「空間ではないもの」を認識しています。

3.他人の背景はなんだろう?


あなたはなぜ他人を認識することができるのでしょうか。
まず他人という対象物は一過性の現象であることはわかるでしょうか。誰でも構わないので他人を思い浮かべてください。
その彼または彼女は「ここからここまで」と限りがあります。一般的に言えば身体の大きさとして認識されるものです。

それに加えて、その彼または彼女は変化するでしょう。成長期であれば日々肉体が成長していきますし、成人であれば日々肉体は老化していきます。髪や爪が伸びることも変化です。
つまり他人もまた「限りがあり変化するものが現時点で一時的にとっている形」、すなわち現象であるということです。

では、他人の背景にあるものはなんでしょうか?これがあるから「他人」と認識できるものです。

空間。
それも間違いではありませんが、雲を「空にある空ではないもの」と認識しているように、もっと決定的な認識があります。

「自分」です。

僕らは夜空という背景があるから星を「夜空ではないもの」として認識できるように、自分という背景があるから他人を「自分ではないもの」として認識することができます。

夜空を背景にして星が散りばめられている状態を一括して「星空」と表現しますが、自分を背景にして他人が存在する状態を一括した表現は残念ながらありません。願望実現の世界では、仕方なく「全て自分」という表現をしています。

これを「認識の対象物は一過性の現象であり、その背景は概念化できない果てしないものである」というここまでの話に当てはめてみましょう。
他人とは「一過性の現象」であり、自分とは「概念化できない果てしないもの」である。

4.全てのものの背景はなんだろう?


僕らは自分と他人だけではなく、全てのものを「自分」と「自分以外」に分けて認識しています。

では、「自分以外の全てのもの」の背景はなんでしょう?

やはり「自分」です。

自分以外の全てのものは、物質であったり、動物であったり、自然現象であったりします。
物質や動物や自然現象も、永遠のものではなく一過性のものです。無常の原則に従って、変わらないものは何一つありません。

変わらないように思える未開の地にある大きな岩や、巨大な山脈でさえ姿形を変えます。そもそもそれらが存在している大陸でさえ海底のプレートごと移動していますし、もっと大きな観点から見れば、地球という惑星自体もいつかは消える運命にあります。

現象というと何かが起こることというイメージになりやすいですが、何かが存在することもまた現象です。
身近なものから、他人も含めた動植物、果ては地球に至るまで。永遠なるものは一つもなく、全ては一過性の現象に過ぎません。

それら全ての現象の背景には、必ずあなたがいます。つまりあなたは全ての現象のスクリーンであるということです。

では、それら全ての現象を映し出すスクリーンであるあなた自身はどうでしょう?
あなたはここに人間という形で存在していますが、人間としてのあなたは永遠のものではありません。永遠ではない一時的な形ですから、あなたという存在すら現象です。

あなたも現象であるということは、そこには背景があります。「自分」の背景はなんでしょう?

他人でしょうか?確かに他人がいるから自分を認識できるようにも思います。けれど、他人は限りある一過性の現象です。背景ではありません。

先ほどの話を思い出してください。
「全ての現象の背景には、必ずあなたがいます」
つまり、あなたという現象の背景にいるのはあなたです。

物が存在するのも現象であり、他人が存在するのも現象であり、それを見ているあなた自身もまた現象です。あなたと物、あなたと他人。その現象同士の間で起こったこともまた現象です。
この世界はどこまでいっても、あなたというスクリーンに映し出された現象でしかありません。

自分も含めた全ての現象の背景には、概念化できない果てしないあなたがいます。

5.全てのものに境界線はない


概念化できない果てしないあなたを言い表す言葉はありません。便宜上「人間と名付けられた現象たち」が「別の領域」だの「潜在意識」だの「大いなるもの」だのと勝手に呼んでいますが、強いて言い表すとすれば「それ」でいいでしょう。
無理に言葉に当てはめる必要はありません。

あなたは、あなたという背景に起こる現象を、あなたという現象を通して見ています。
夜空に星が散りばめられているが如く、あなたという背景には無数の現象が散りばめられています。

夜空に星が輝いている様子を「星空」と包括するように、あなたに無数の現象が散りばめられている様子は「自分」で包括できます。全てのことは自分の中で起こっているという解釈でもいいんですが、一般的な意味での「自分(自我)」が「自分」を背景とした現象であるならば内も外もありません。

自分は「自分という現象」であり、「その現象の背景」でもあるということです。
そこに対象物や境界線といった概念はなく、あるのはただ一体である自分です。

すると、ここまでの話が一気に覆されます。全ての現象とその背景には境界線がありません。
自分が在るという現象。他人がいるという現象。物があるという現象。そして、それらの背景である自分。そのどこにも境界線はなく、全てが丸ごと自分であり、全てが「それ」です。

現象に現実という属性を与えて振り回されているのは、他でもないあなたです。現実は自作自演。現実は幻想と呼ばれるのはこのためです。全ては単に「自分」という現象が起こっているだけです。

エゴの視点で考えれば全く意味不明な話でしょう。だからこそ「認識の変更」と呼ばれます。

6.現象と背景の物語


あなたには全ての現象の背景である父と、全ての現象を産み出す母がいます。
背景である父と、現象である母の間に生まれたあなたは、父と母が作り出す現象を体験する存在としてここにいます。

父も母も現象を体験することはできません。体験することを子であるあなたに託しました。なぜなら、体験することはとても楽しいことだからです。

あなたは全ての現象を司る両親から生まれた神の子です。あなたは両親から「現象を楽しんでおいで」と送り出されてここにいます。

体験することと引き換えに、あなたには人間としての制限時間があることを父も母も知っています。
だから大切な子であるあなたには、その限られた時間を出来る限り楽しい経験をして、出来る限り幸せに過ごしてほしいと願っています。

全ての現象を産み出す母は、子であるあなたに問いかけます。
「こんな現象はどう?楽しそうじゃない?」

父と母はあなたの好みを完璧に知っていますから、子であるあなたは母に提案された現象を気に入り「そうなったらいいな」と反応します。

それが願望です。

願望はあなたが抱いたのではありません。父と母が「この現象を体験するのは楽しいだろう」と膨大な現象の中から、あなたが喜びそうなものを選び出し用意してくれた贈り物です。
あなたはただその贈り物を素直に受け取り、体験すればいいんです。

その贈り物の受け取りを拒否するのは、子であるあなたの「自分には無理」という思い込みだけです。

父も母もあなたです。体験するのもあなたです。
あなた自身があなたが作り出した現象であり、あなたの目に映るもの全てがあなたが作り出した現象です。

全てがあなたで出来上がっているのに、不可能なことなどあるでしょうか?
あなたが愛されない理由があるでしょうか?

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直島 章真(Naoshima Shoma)

不思議で素敵な思考の世界に皆さんをご案内します。 引き寄せで悩んでいる人、心が疲れてしまった人、ちょっと元気をなくした人に響く言葉がきっとあるはず。そう信じて言葉を紡いでいます。