【思考から離れる】自分の人生にビビるな!何が起こったって構いやしないさ!

今回の記事はいつもと毛色が違います。書き始めたときにはそんなつもりはなかったんですが、結果的に自分語りのようになりました。
僕の認識変更の経緯をまとめた形になった今回の記事。リアルな体験なので参考になる部分もあるのかなと思います。

1.思考に支配されているのではない


一度でも認識の変更を体感できると、自分が今エゴにまみれているか、別の領域にいるかが判別出来るようになります。

僕の感覚ですが、一般的な言葉で表現すると思考に寄っているか、意識に寄っているかという感じ。あるいはもっとシンプルに、思考にどっぷり浸かっているか、思考から離れているかでもいいです。

思考に寄っているときは、例外なく心の状態が不快なのですぐにわかります。まず、良くない気分であるときは思考に寄っていることを知ってください。
これは強い不快感であるときもあるし、漠然と気分が晴れない状態であることもあります。

厄介なのは、思考に支配されていることに気付いていても抜け出すことが出来なくなることがあるということです。
特に別の領域が腑に落ちた直後は、まだ行ったり来たりを繰り返してしまうことも珍しくありません。

一度思考に寄ってしまうと、一直線に思考が暴走することもあるので、その強い引力から離れるのが難しいこともあります。

思考に引っ張られていることに気付いている。そこから離れようとしている。けれど思考の強力な重力に引き戻される。離れればいいとわかっているだけに、とてもイライラする辛い時間です。

思考はなぜこのような暴走をしてしまうのか。「叶わないんじゃないか」とか「このまま何もせずに任せていいのか」とか、思考はなぜ、そんな漠然とした不安に駆り立てるのかと考えていたときに気付いたことがありました。

思考と思っていたものは、思考ではなく恐怖そのものだということにです。恐怖が先にあり、思考(エゴ)が「このままじゃヤバい!」と騒いでいることに気付いたんです。

思考(エゴ)は恐怖を感じて、それに対処するために危険信号を送っているだけ。危険信号を送ることで、その危険から自分を回避させようとしているだけです。

エゴが悪いのではありません。エゴはあくまでも自分の仕事を全うしています。止められない思考(エゴ)の原因が恐怖という感情にあるとわかったときに答えがわかりました。

思考を振り払おうとするのではなく、思考の根元にある恐怖にアプローチしてはどうか?と考えたんです。

2.思考の根本をぶち壊す


メソッドにばかりこだわることはオススメしませんが、感情をリリースするセドナメソッド、恐怖を安心感へシフトする自愛、恐怖そのものが存在しないことを実感する「今今メソッド」、思考から離れる瞑想。

思考が騒ぐ根本に恐怖がある。思考に支配されていたのではなく、恐怖に支配されていた。そのことに気付いたとき、様々なメソッドがなぜ有効なのかもわかりました。
恐怖心へアプローチする手段だったことに気付いたんです。

チョロチョロと現れるエゴの思考が蟻だとするなら、その蟻は恐怖という蟻の巣から来ていました。
ならば、蟻の巣コロリでも、水攻めでも、爆竹で爆破でも何でもいいんだけど、蟻の巣ごと破壊してしまえと考えました。

3.「自分は自分の人生にビビっている」


男女差はないのでしょうが、特に男性にとって「俺はビビりだ」と認めることは辛いでしょう。僕も男なのでよくわかります。

けれど、他人に対してはおろか、自分に対してさえ嘘を吐き続けてきた「自分は弱虫」という事実を認めることが、恐怖をぶっ壊す第一歩です。

思考の雲が別の領域の空を覆っていた。その雲は恐怖から生まれていた。自分は恐怖に支配されていた。

つまり「自分は自分の人生にビビっている」ということです。

薬物依存、特にアルコール依存症の治療の第一歩は、本人が「自分はアルコール依存症である」と認めることだと言われています。

誰だって「自分は弱い」なんて思いたくありません。気持ちはわかるけど、認めない限り前には進めません。

だから僕は最初は抵抗があったけど認めました。
「俺、認めたくないけど弱虫なんだな。自分の人生にビビってんだな」

認めたら楽になりました。自分に対して「俺は強い人間だ」なんて無理に言い聞かせることもなくなりました。

「ビビりな男でもいいや。弱くたっていいや」

あなたは誰かの弱い面を見たことがあるでしょう。そのとき「あの人は弱いから嫌い」と思いましたか?

弱いからって人に嫌われたりしません。それが大切な人ならば、逆に寄り添ってあげようとすら思います。

強面な男性があがり症だったとか、虫が苦手だったとかしたら、その意外性がチャームポイントになることもあるでしょう。

そう考えたら「ビビりでも弱くてもいいじゃないか。それで嫌われたりしない」って思えたんです。

4.「どうして自分の人生にビビってんのかな?」


虚勢を張って強気な態度でいる人のことを強い人とは言いません。自分は強いと必死に思い込もうとしている人を強い人とは言いません。

ハッキリ言いますが、思考に支配されている人は例外なくビビりです。生きてく強さとか、強い人間というのは、自分の弱さを認めることが出来る人のことをいいます。

思考に寄っていることに気付いたとき、僕はまず「俺はビビりだな」と認めました。これを「しょうがねぇ奴だなぁ」という苦笑いのニュアンスも含めて言ったり思ったりしました。

今思えばこの「しょうがねぇ奴だなぁ」のニュアンスが自然と自愛になっていたようです。それは「しょうがねぇ奴だ」と言いながらも、そんな自分を許しているからです。

そのまま「そんな自分でもいい」と自愛してもいいですし、ビビりの根本である恐怖の感情をセドナメソッドでリリースするのもいいでしょう。

僕はメソッドなんて面倒なので問いかける手法を試してみました。その問いかけはこうです。

「俺はどうして自分の人生にビビってんのかな?」

後から気付きましたが、この問いかけは「ザ・チケット」の著者108氏が某掲示板の中でアドバイスとして答えられた「私はどうして、既にある充足の経験を遮断しているのだろう?」の変形バージョンだったんです。

108氏は「ザ・チケット」の中で「エゴのベースは恐怖心」と語っています。
「私はどうして、既にある充足の経験を遮断しているのだろう?」の問いかけはエゴの領域にいることに気付くためです。

僕の場合は「充足の経験を遮断」している正体はエゴで、そのエゴのベースに恐怖があると考えて、なぜ恐怖するのかを問いたんです。

結局は順序が逆で、エゴが恐怖心を作っているんですがそのときの僕は気付きませんでした。
けれど、僕がしていた問いかけも、108氏の問いかけと同じように効果がありました。
僕にとっては…ですが。

ですから、メソッドというのは一語一句真似る必要はなくて、自分にしっくり馴染む言い方で構いません。

問いかけたら放っておきました。答えなんてないって最初からわかっていたし、理由を探し始めると、ますます思考に支配されることもわかっていたからです。

「俺はどうして自分の人生にビビってんのかな?」
続けて「自分の人生にビビる必要なんてあるのかな?」と続けることもありました。

・自分がビビりであることを認める。
・なぜビビっているのかを問う
・その必要があるのかを問う

メソッドと言えるかどうかわかりませんが、それが僕の手法でした。

5.「別に何が起きても良くない?」


「俺はビビりだなぁ」
「俺はどうして自分の人生にビビってんのかな?」
「自分の人生にビビる必要なんてあるのかな?」

ビビりであることを認めて、なぜビビっているのかを問う。何度か繰り返しているうちに心境の変化がありました。

「別に何が起きても良くない?」

この「何が起きても」というのは、良いことでも悪いことでも、願望が叶っても叶わなくても、結局何かは経験するんだから何でもありじゃない?という意味です。「どうにでもしやがれ」に近い心境でした。

この心理状況は、「ザ・チケット」の「不安が実現しても構わない」「そうなっても構わない」のメソッドと同じですね。僕は偶然にもそこに辿り着くことができました。

「これが叶わなかったら嫌だとか、困るとかなんなの?叶ったからなんなの?叶わないからなんなの?どっちも所詮はただの経験でしょ?どっちを経験しても良くない?何を経験しても良くない?どうして人生の中のたった一つの経験にこだわってるの?叶わないと死ぬみたいに思ってるの?バカみたい」

自分の弱さを認めて、なぜ恐怖しているのかを問う、そうして恐怖と向かい合うことで、そもそも存在しない恐怖が消えていきました。

恐怖が消えることで現実というものに振り回されてオロオロしている思考が消えていきました。
ただの開き直り、そうなのかもしれません。けれど僕は自分の人生にビビらなくなりました。

今思うと偶然に辿り着いた、思考寄りから意識寄りへのシフト。願望実現の用語で言うと、エゴから別の領域へのシフトが起こりました。

「別に何が起きても良くない?」

この状態はとても強力です。コントロールすることをやめた状態であり、願望を手離した状態だからです。

「俺の人生で何が起ころうと、他の人には関係ない」
「俺の人生なんだから、何が起こったっていい」

そして価値観の崩壊が起こりました。

6.価値観の崩壊


「別に何が起きても良くない?」

この開き直りとも言える認識の変化が価値観の崩壊を招きました。
借金があってはダメ。人に嫌われてはダメ。好きな人に愛されなければダメ。特別でなければダメ。何かに優れていなくてはダメ。

そうした自分の「こうでなければならない」は「別に何が起きても良くない?」の前にガラガラと崩壊しました。

こうした自分の「あれがダメ、これがダメ」が幸せの条件になっていたことに気付いたんです。
借金があってはダメ→借金があると幸せではない→金持ちにならなければならない

幸せの条件付けが解体されました。
「叶ったら叶った経験をするだけ。叶わなかったら叶わなかった経験をするだけ。所詮はどっちもただの経験」
「何があったって。何を経験したって。願望が叶おうが叶うまいが幸せになっていい」

そのときハッとなりました。
「俺は”限られた経験しかできない”という現実を完璧に叶えていた」
自分が経験することを制限していたことに気付いたんです。

7.「現実は思いのまま」


長くなってしまったので今回はここまでにします。
今回のお話の最後に、じっくりと味わって欲しい言葉を書きます。すごく簡単で、これが正しく捉えられるなら別の領域にいると断言できる言葉です。

「現実は思いのまま」

全く捻らず、そのままの意味で捉えて欲しいんですが、別の領域を頭だけで理解して体験が追い付いていない人は、十中八九余計な捉え方をします。

この言葉を「現実は思いのままになる」と捉えるのは間違いです。そこには「認識が変われば、思い通りの現実が現れる」というニュアンスが含まれています。

願望を実現する。願いを叶える。結果として現実は思いのままになる。そういった余計な意味を付け足さないでください。

それだと、願望を実現する必要があるし、願いを叶える必要があります。実現するとか叶えるとかいうプロセスは不要です。

「現実は思いのまま」に言葉を付け足すとするならば「現実は思いのまま”になる”」ではなく「現実は思いのまま”である”」です。

既に現実は思いのままになっているよねっていう意味です。あなたが現実に対して「叶えたい願望がある」と思っているなら「叶えたい願望がある現実」になってるよねっていうことです。

あなたが現実に対して「お金がない」と思っているなら、「お金がない現実」になっているよね。あなたが現実に対して「私はモテない」と思っているなら、「モテない現実」になっているよね。っていうことです。

シンプル過ぎて言葉にするのが難しいんですが、今認識していることがそのまま現実として展開しています。

「このような現実が起こったから、このように認識した」ではなく、単に「こう認識している」です。
現実とはつまり認識でしかなかったということです。

The following two tabs change content below.

直島 章真(Naoshima Shoma)

不思議で素敵な思考の世界に皆さんをご案内します。 引き寄せで悩んでいる人、心が疲れてしまった人、ちょっと元気をなくした人に響く言葉がきっとあるはず。そう信じて言葉を紡いでいます。