学校には校則というローカルルールがありますよね。
髪を染めてはいけないとか、不順異性交遊がどうの、といったもの。
「時代錯誤で変なのもあるなぁ」と思いつつ、熟読するわけでも、納得するわけでも、守るわけでもないけれど、ルールがあることだけは知っている、という程度のものだったのではないでしょうか。

校則と同じように、あなたにも他人にも自分の価値観で決めた独自のルールがあります。
「こうしたい」、「こうされたい」、「こうあるべき」と考えているもの。

例えば、
「時間は守るべき」、「約束は守るべき」、「恋人関係になったら1日1回は連絡するべき」。
「約束の時間に遅れそうなら早く連絡するべき」、「いつも私を褒めるべき」。

果ては、「パンツは畳んでしまうべき」、「食事に行ったら私と違うものを選ぶべき」。
「入浴は髪から先に洗うべき」、「服屋の店員さんは話し掛けて来ないべき」なんていう細則もあったりします。

もし他人が「食事に行ったら私と違うものを選ぶべき」というあなたのマイルールに従わなかったとき、あなたは「反則」の笛を吹いて相手を非難します。
それは心の中だけかもしれないし、「せっかくだから違うものを選んで分け合えばいいでしょ!」と言動や態度として表に出すかもしれません。

あなたはその後、その相手の「処分」を検討します。
ほとんどが「イエローカード」ですが、事と次第、相手の態度や反則暦によっては「レッドカード」で退場処分を下すかもしれません。
同じように、他人のマイルールに対してあなたが「反則」を犯せば、非難の対象となり「処分」を検討されることとなります。

他人はあなたのマイルールを知りません。
付き合いを重ねていくうちに、あなたの言動や行動から少しずつルールを覚えていきます。
けれど、あなたのルールを覚えたとしても、そのルールに従う義務はありません。

あなたは「自分の人生というフィールド」で生きています。
他人も同じく「自分の人生というフィールド」で生きています。
同じルールが適用されているわけではないのです。

その人はその人で独自のルールを持っているし、むしろそちらのルールの方が正しいから、あなたに守ってほしいと思っているかもしれません。
人は、自分のフィールドで行われているルールに従えばいいのであって、少々乱暴に言えば「違うフィールドのルールなんて知ったこっちゃない」のです。

世の中には、怒ったところを見たことがないというほど寛大な人もいます。
逆に、ちょっとしたことで沸点に達する、瞬間湯沸かし器のような人もいます。
その違いはどこにあるのでしょうか?

それは、その人のマイルールが紙一枚で済むようなシンプルなものか、六法全書のように分厚いかの違いです。
マイルールが膨大であるほど、「私のマイルール287条36項に違反した!」ということが多くなります。
「反則、反則、また反則。どうしてみんなルールを守らないんだ!」そんな感じ。

逆に、誰もが簡単に守れるような、シンプルなマイルールにしている人は、滅多なことでは「反則」を取りません。
守りやすいルールなので、その人のルールを知らなくても反則を犯す人が少ないのです。
あなたのマイルール、ちょっと見直してみませんか?

【自分の「こうあるべき」を拡大する】

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